2008年12月15日
 
 
エディプスコンプレックスだのいう専門用語はよくギリシア神話を由来に名前を決めたりしてますが、一部分の一致だけで採用してるので物語の意味まではくみとりません。 
だからたまにその用語と由来となった物語との微妙な食い違いがあったりします。
  
『ナルシスト』の由来が神話のナルキッソスである事は有名です。そのせいか、ナルキッソスがナルシストであると世間一般で認識されているように見受けられます。が、ギリシャ神話を読むとナルキッソスがナルシストであるという要素はありません。というかナルキッソスがナルシストなら物語が成り立ちません。 
ナルキッソスの物語は結構長い話でして……。
  
ナルキッソスが生まれた時に、『この者は自分の姿を見ると死んでしまう』という予言を授かってしまって、周りの者はナルキッソスの周辺から鏡を隠してナルキッソスに自分の姿が見えないようにしていました。だから、ナルキッソスは自分がどういう姿をしているのか知りません。 
ナルキッソスはイケメンでしたが冷たい心を持っており、誰も愛さない人間でした。
  
そんな冷血イケメンなナルキッソスにニンフのエコーちゃんが恋をするのですが…。このエコーちゃん、おしゃべりな子なんですが以前ゼウスにナンパされた時にゼウスの恐い妻ヘラに見つかって得意のおしゃべりで誤魔化そうとしましたがヘラには通じず逆燐にふれ、声を封じられて自分から声を発する事が出来ず相手の声の最後の部分だけを繰り替えす事しか出来ない、という呪いをかけられてしまっていました。 
エコーは勇気を出して憧れのナルキッソスに近づきますが、
  
エコ「…………」 
ナル「君はだれ?」 
エコ「……だれ?」 
ナル「君の名前を聞いているんだよ」 
エコ「……んだよ」 
ナル「まねすんな」 
エコ「……すんな」 
ナル「おちょくっとんのか」 
エコ「……とんのか」 
ナル「キモ。あっち行けや」
  
という最悪な失恋をしてしまいました。このショックでエコーは身を隠すようになり、やせ細ってついに声だけになってしまいました。 
その事にキレた他のニンフたちは神サマに訴えました。「愛する人に想いが通じない苦しみをナルキッソスにも分からせて下さい」と。
  
ある日、ナルキッソスが泉で水面に映った自分の姿を見てしまいます。 
ナルキッソスは自分の容姿を知りませんでしたから、それが自分だとは気付かず、その美しさに一目惚れしてしまいました。 
ナルキッソスはナルシストではありませんでしたがアホの子だったようです……。 
自分だと気付かないナルキッソスは水面の自分に呼びかけます。
  
「君はなんて素敵なんだ、君の名は?」 
しかし水の中の自分は当然返事をしません。 
「どうして僕に冷たくするんだ。僕が手をさしのべると君も手を差しのべてくれる。それなのに!」
  
この時やっとナルキッソスは愛する人に冷たくされる辛さを理解する訳ですね。 
ナルキッソスはもどかしさのあまり水の中に手を入れると、水面が波立ち水面に映った姿が消えそうになりました。 
それに慌てたナルキッソスはもう水面の自分に対して何もせず、「仲良くしてくれないなら、せめてずっと君を見ていたい」とずぅ〜っと水面に映った自分の姿を見つめ続け、いつまでもそこを動かず、ついに死んでしまいました。
  
その事を知ったナルキッソスを好きだったニンフ達は悲しみ、ナルキッソスを供養するためにその泉でナルキッソスの亡骸を探しますが、そこのナルキッソスの姿はなく、ナルキッソスが居た場所には一輪の水仙の花が咲いているだけでした。
  
おわり。 
ナルキッソスがナルシストだったとすると、泉に映った自分に固執する理由が無いんです。だって自分なんだから、泉から離れても自分は自分だから。 
ナルキッソスの悲劇は、水面に映った美しい姿が自分だという事に気付かなかった、という点なんです。その事に気付けば万事解決だったんです。 
ナルキッソスが自分に恋をした、というのは間違いではありませんが、自己愛のナルシストではないですね。 
最初の「自分の姿を見たら死ぬ」という予言はその通りになりましたね。オイディプスの話にもイヤな予言が出てきますが、『不幸になる予言を告げられ、人はそれを避けようとあれこれするが結局最後には予言通りになってしまう』というパターンの話が結構あります。運命には逆らえないんですかね。 
 
 
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